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今まで、なぜ中韓をボロカスに言うだけのブログや狭い視野で日本経済の楽観論を繰り広げるような、妄想と思想だけの内容の無いブログがランキング上位に来ていたのかはわかりませんが、日本経済がいつになっても豊かにならず、そして痩せ細っていく現実に、何かがおかしい、と気付く人が徐々に増えてきているのでしょうか。そして、日本の富が「消えている」原因は何であるか、その全容が一部の熱い愛国者達の草の根活動で人々に知れ渡ってきているのだと思います。
ところで、先日、大阪最大級の書店に足を運びました。そうすると、書店に入って一番最初に目にする棚を全面に使って、副島隆彦氏、植草一秀氏共著の新刊「売国者たちの末路 私達は国家の暴力と闘う」が置かれていました。それを見て、つい嬉しくなったのを覚えています。
この本は、米国に日本の富を移転することで「政・官・業・外・電」の利権組織が潤う構図が詳細に明かされています。そして、それらの悪を潰そうとする愛国者は、次々と検察に謀略を仕掛けられ社会的抹殺を図られる現実も書かれています。どこも包み隠すことなく全て書かれています。言論統制ばかりが目立つこの世の中で、これほどまでにタブーを無視した情報がどこにあるでしょうか。私達は常日頃、大手メディアにより政治的狙いや嘘で塗り固められた情報を浴びせられています。それは、国民を洗脳する為のでっちあげの事件であったり、造られた事実であったりします。それらは私的な利権の為の情報だと言って過言ではありません。余談ですが、本当の情報を得るには、極めて情報を識別する高い能力が必要な時代となったような気がします。この本には、タブーを恐れることなく、真実のみが語られています。まさに現代の歴史教科書と言っても良いのではないでしょうか。誰が何の為にどういうことをやったのか・・・。実名を挙げて書かれている、超優良書籍ですね。
書籍の一部を抜粋しておきましょう↓
今まで、なぜ中韓をボロカスに言うだけのブログや狭い視野で日本経済の楽観論を繰り広げるような、妄想と思想だけの内容の無いブログがランキング上位に来ていたのかはわかりませんが、日本経済がいつになっても豊かにならず、そして痩せ細っていく現実に、何かがおかしい、と気付く人が徐々に増えてきているのでしょうか。そして、日本の富が「消えている」原因は何であるか、その全容が一部の熱い愛国者達の草の根活動で人々に知れ渡ってきているのだと思います。
ところで、先日、大阪最大級の書店に足を運びました。そうすると、書店に入って一番最初に目にする棚を全面に使って、副島隆彦氏、植草一秀氏共著の新刊「売国者たちの末路 私達は国家の暴力と闘う」が置かれていました。それを見て、つい嬉しくなったのを覚えています。
この本は、米国に日本の富を移転することで「政・官・業・外・電」の利権組織が潤う構図が詳細に明かされています。そして、それらの悪を潰そうとする愛国者は、次々と検察に謀略を仕掛けられ社会的抹殺を図られる現実も書かれています。どこも包み隠すことなく全て書かれています。言論統制ばかりが目立つこの世の中で、これほどまでにタブーを無視した情報がどこにあるでしょうか。私達は常日頃、大手メディアにより政治的狙いや嘘で塗り固められた情報を浴びせられています。それは、国民を洗脳する為のでっちあげの事件であったり、造られた事実であったりします。それらは私的な利権の為の情報だと言って過言ではありません。余談ですが、本当の情報を得るには、極めて情報を識別する高い能力が必要な時代となったような気がします。この本には、タブーを恐れることなく、真実のみが語られています。まさに現代の歴史教科書と言っても良いのではないでしょうか。誰が何の為にどういうことをやったのか・・・。実名を挙げて書かれている、超優良書籍ですね。
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■「竹中降ろし」と「植草入閣」が水面下で進んでいた
副島:ところで植草さんは、亀井静香さんと仲良くされている時期があったよう見えます。植草さんが政策立案をして、亀井さんに勧めていた。2002年から2003年にかけてだったと思いますが。
植草:そうですね、2002年です。2002年末に向けて、日本経済の悪化がふたたび加速し、危機感が増幅しました。10月27日に行われた衆参両院議員の統一補欠選挙で自民党が敗北すれば、倒閣運動をおこす動きがありました。その中で亀井さんからもアプローチがあり、総合的な経済政策案を考察したことがあります。
副島:あのころ私が遠くから見ていた印象を申し上げましょう。自民党の最高実力者の青木幹雄、野中広務、森喜朗といて、おそらく7人だと私は決めていましたが、その中にはまだ亀井さんもおられた。
その最高実力者たちが一致団結して、竹中平蔵大臣を引きずり降ろして、植草さんを金融担当大臣にするのだろうと、私には新聞を読んでいてそう見えました。だから、植草さんをまず早稲田大学教授に就かせて、そこから入閣させるという手はずがあったように記憶しています。誰かに聞いたわけはありません。私が勝手に思いついて、そのときの講演会で私はそのように話しました。この読みはどうでしょうか。
植草:どの組閣のときだったのか分かりませんが、2002年の秋だったと思います。「FLASH」という雑誌が突然自宅に来て、写真を撮られたことがあります。記事が掲載されたのは2003年だったと記憶していますが、「植草一秀が入閣か」という内容だったと思います。直接、打診を受けたということではありません。しかし複数の政治関係の専門家から話を聞いていたことはあります。
副島:「竹中平蔵大臣ひきずり降ろし」の動きが出はじめたとき、変な大きな力が動いた。あのときの日本最高実力者であった青木幹雄氏の力が、なぜか急激に衰えてゆきました。相当な圧力が自民党全体にかかったのだ、というふうに私には見えました。植草さんのほうには、たとえば「今回はあなたは使えない」といった打診はあったのですか。(以下続く)