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日本がどのように崩壊していったのか。半世紀にわたる物語が植草さんのブログでわかりやすく公開されているので、早速掲載させて頂きました。

自民党が与党、社会党を軸とする政党が野党の図式が長く続いてきた。55年体制と言われる。


日本経済が成長を続けていたころ、「労働」と「資本」の対立は尖鋭化しないで済む状況にあった。経済のパイが増大し、「資本」も潤い、「労働」もそれなりに潤う時代が続いた。


「資本」と「労働」は対立せずに労使協調が成り立つ部分が大きかった。


政治の世界でも、自民党と社会党が表面では対立しても、テーブルの下で手を握る図式が持続した。


しかし、1990年を境に時代環境は変化した。


三つの大きな変化が生じた。


第一は、冷戦が終焉したことだ。中国などの新興国が急成長し始めた。企業は生き残りのために、労使協調を言えなくなった。


第二は、日本のバブル経済が崩壊したことだ。1990年から2009年まで20年に及ぶ長期停滞が日本経済を襲った。経済の長期停滞の最大の理由は、政府の経済政策運営の失敗にあった。経済の停滞持続も労使協調を破壊する要因になった。


第三は、ITの飛躍的発展により、多くの事務労働者の地位が低下したことだ。企業は事務労働者の賃金引き下げに本格的に動いた。


これらの三つの要因によって、社会に重大な変化が起こった。企業は生き残りに全力疾走で向かい、戦後日本が築き上げた「総中流社会」の破壊に動いた。「共生社会」が突然「格差社会」、「生存競争社会」に変質した。


この時代環境を踏まえれば、政治は、「市場原理主義」ではなく「セーフティネット重視」に舵を切らなければならなかった。世界の大競争のなかで、企業が生き残りのために「格差創造」の方向に動く。この企業の行動によって発生する「ひずみ」を吸収するために、政府は「セーフティーネット強化」の方向に舵を切らなければならなかったのだ。


ところが、不幸なことに日本の現実は逆の方向に向かった。2001年に小泉政権が発足し、「市場原理主義」を政策方針の中心に据えた。経済の構造変化と、その変化を加速させる「格差創造」の「市場原理主義」によって、日本社会はあっという間に世界有数の「格差社会」に変質した。


年収300万円以下の労働者が50%を突破する一方、年収700万円以上の労働者は10%しかいない。ほんの一握りの労働者が「勝ち組」である一方、労働者の半分以上が「負け組」に押し込まれてしまった。


この時代環境の下で、自民党は巨大な献金を受け取っていることを背景に、大資本の側だけを向いた政治を続けた。生活保護を切り、障害者支援を切り、高齢者医療を切る一方で、法人税減税、製造業の派遣労働解禁などを実行した。


参政権は自然人である国民だけに1人1票で割り当てられる。企業は巨大な献金を行なうが、自然人ではなく参政権もない。


時代環境は変化した。「大資本」の利害と「労働者」の利害は全面対立する時代に変化したのだ。


麻生首相は業界団体を連日訪問して、選挙応援を要請しているが、現実がまったく見えていないのだろう。政治の主人公は「大資本」ではなく、「労働者」である国民なのだ。


「大資本」と「労働」の利害が対立してしまった以上、いくら麻生首相が業界団体を回っても、業界団体に所属する労働者は大資本の応援をする気にならないだろう。


かつて、業界団体が選挙戦で影響力を持ったのは、業界団体の労働者が、「大資本」の意向に沿って行動すると、企業が潤い、その分け前を労働者も享受(きょうじゅ)できたからだ。
(出典:植草一秀の知られざる真実 日本で無血市民革命=政権交代が成功する理由

流れをとても理解することができました。
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