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グローバリゼーションとは、簡単に言うと、「ヒト、カネ、モノ、情報」が国境という障壁を越えて、世界規模化で自由にそれらが渡り歩けるようになることです。

ちなみに、、「国際化」とよく同じにされることがあるのですが、厳密に言えば国際化は国と国の違いを前提とした概念ですのでグローバリゼーションとはまた意味合いが違ってきます。グローバリゼーションには、国家や国境等の境界線が含まれないのが特徴です。


さて、近年国内では、グローバリゼーションを推す声が日増しに強くなっています(経済界で特に根強い)。

2001年に発足した小泉政権時には、経済財政政策担当大臣として入閣した竹中平蔵氏によって市場原理主義の導入、規制緩和、国家資産の民営化・売却によって経済のグローバル化が進められました。

お金や人やモノが国境を越えて自由に移動ができるようになれば、海外からの資本が流入し、結果経済が活性化、国民の生活も潤うというシナリオです。

しかし、このシナリオには様々な問題点がありました。

例えば、規制緩和の問題点。
建築基準検査機関の民間開放による、耐震偽装問題。タクシーの台数制限撤廃による、運転手の収入減、過重長時間労働、過労による事故増加。最近、メディアでよく話題となる派遣問題も規制緩和の一環によって起こっている問題です。

こうしたアメリカ型の市場原理主義の推進したことによって、日本のGDPは、竹中氏が小泉内閣に入閣する前の2000年の3位(為替レート、購買力平価(PPP)ベース)という位置から、5位(2001年)、7位(2002年)、10位(2003年)、11位(2004年)、14位(2005年)、18位(2006年)と失墜の道を辿っています。

これが、痛みを伴う改革ではなく、“痛みだけが残った改革”だと揶揄される要因でもありますね。

そして、市場原理主義を推進するグローバリゼーションには決定的な問題があります。それは、生産性、消費性の小さい産業が損なわれてしまうという点です。国境等の障壁をとっぱらい、合理性を追求した結果、日本の重要な文化や資産が守られないまま消え去ってしまう危険性があるのです。

竹中氏はもしかしたら、そんなものはなくなればいい!資本力のあるものが台頭した方が効率的だ!と仰るかもしれません。しかし、文化というものはお金では決して買えないものです。経済的に多少の無駄があっても、守らなければいけないものですし、そこに理由も要りません。

経済的合理性ばかりを追求した結果、アメリカ金融の破綻のしわよせが来ているという事実を踏まえた上で、今はまだグローバル化をすすめる時期ではないと私は思います。


竹中平蔵の消費税増税反対論の策謀と森永卓郎の生活防衛論


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